7000型車両(パノラマカー)は、私にとっては、思い出深い車両です。
この車両は、名鉄の看板車両と製作するという目的をもって作られた車両です。
新人運転士から、特急運転士に昇格して、この車両の運転席に座ったときは、感動でした。
親に連れられた、子供達に「ほら、運転士さんが、運転席に上っていくよ」なんて言われて
子供達が、「あっ、ほんとだ、あそこで運転するんだね」そんな声を聞くと
恥ずかしいような、誇らしいような、気分になったものです。
この電車は、色々な面で画期的な、日本で始めてが多い電車でしたね
一番の特徴は、運転席を二階に設け、前面の展望を乗客に開放したことです。
窓も平面を基調として、斬新なデザインになっています。また、スカーレッド色が
とても、似合う電車です。 警笛も、それまでの、空笛に加え 電子ホーンを装備しました。
電笛と、ミュージックホーンです。
このミュージックホーンは、子供達が、節を付けて、どけよ、どけよ、どけ、どけ
などと、言っていましたね。
前面の展望を、乗客に解放したことにより、乗客の安全確保のために、油圧ダンパーが装備されました。
下部前照灯の横の白い部分が、その装置です。衝突時の衝撃を吸収し跳ね返すためのものです。
日曜日など、一番前の席を取る為に、子供達で賑わいましたね。
大人の方も結構前の席に座りたがってましたね。
下部の前照灯は、運転席での前後切り替えスイッチで、後位置とすると、赤色フィルターが回転して
尾灯になるようになっていました。駆動方式は、オールMで、平方カルダン方式でした。
また、展望客室には、デジタル式の速度計も設置されていました。
冷房装置も搭載され、一車両6基程でしたかね~ 当時では、一基で、普通車一台買える値段でしたね
名古屋本線の特急車両として、デビューした車両も、2008年現役を引退することになりました
ラストランでは、デビュー当時の姿に戻し、走行しました。
前面の行き先表示板が、取り払われています。
行き先板も最初は、手動で扱う物で、パタパタと呼んでましたね。
後には、電動式の自動のものに変わりました。
サボ(電車の横に表示される、行き先板)も、デビュー当時の赤色に白文字の
古めかしいものになっています
前面の行き先板を取り払い、デビュー当時のPhenix
フェニックス(不死鳥)のエンブレムが取り付けられています。
この電車の運転士泣かせは、連結する時でしたね、
前面10m位は、死角となり、連結は、運転士の技量を試されるときでもありました。
操車掛の合図と、運転士の感のみが、頼りの作業でしたね。
この車両で、衝動無く、錠足(連結器の鎖状装置)カチ~ンと響くと、やった~と思いましたね。
運転士は職人ですからね。